勉強方法 暗記に頼らない

暗記に頼らない思考法 勉強とは

宗教を理解することは人の気持ちを理解することになるだろう。

 

小学生の頃、脳死に関する話を道徳の授業で聞いた。

自分の大切な人がそうなった時に本当に臓器提供など考えることができるのだろうかと思った。

実際に日本ではあまり受け入れられていないように感じる。

 

しかし、もう元気になることは難しくて、もしそれで他の人の命が救えるのならば、どう考えてもそちらの方が合理的なことはわかる。

だが、どう考えても感情が入ってしまい、断言できない自分もいる。

 

2018年のドナー数のグラフを確認してみよう。

各国のドナー数 グラフ

 

2018年の各国における人口100万人あたりの臓器提供者数のグラフだ。

日本は0.77人に比べてアメリカでは33.32人。つまり日本の約43倍にもあたるのだ。

 

この違い間違いなく、考え方の違いが表れていて、その考え方の違いは宗教からくるものであると言われている。

 

キリスト教の考え方は、英語の文法に顕著に表れている。

 

英語の授業でのことだ。

「祖母は2年前に亡くなった」という英作文の問題に対して、

My grandmother died two years ago.

という表現を書いて、

 

My grandmother has been dead for two years.

と書かなければいけないよと言われた。

なぜ、現在完了形を使うのだろうと質問をすると、こうやって言われるから覚えなさいと言われたものだ。

 

そこから英語は暗記分野だと思いこんでしまっていた。

慣用的で、、、と言われようが、母国語として、もし感覚と異なっているのであれば、現代は違う表現になっているだろう。

つまり、この表現に違和感を持つのは日本人だけなんだと。

 

キリスト教の考えでは、自分自身というのは、魂soulである。

つまり、体bodyはまた別のものであるという考え方なのだ。

 

そして、その体bodyの部分がお墓で死んだ状態で横たわっている。という表現がまさにこの状態なのだ。

キリスト教的考え方では、soulは永久に不滅であるからだ。

つまり、文章の中のMy grandmotherというのは、My grandmother’s bodyを指している訳である。

 

また、今考えれば、慣れ親しんだ方の死を過去形で書いてしまうことに関してもなにか寂しいもののように感じる。

全てが経験となって自分の中に残っているのであれば確かに現在完了形が的確であるとさえも感じられる。

 

このように考えれば、臓器移植に関してのことも理解できるのだ。

なんでも暗記できる人はそれはそれでいいのかもしれない。

しかし、その代わり、深く考える必要がなくなり、その訓練ができないと思うと、記憶力が乏しい自分でラッキーだったのだと思う。

 

自分の今置かれている状況に、悲観的になってはいけない。

今の自分をどう活かすか。ただそれだけのことである。

 

暗算ができる友達と暗算ができない自分を比べて悲観的になっていたことがあった。

その時に近所の人が私に言ってくれた言葉だ。

 

暗算ができる人にはきっと電卓を開発することはできなかっただろう。

つまり苦手なこと・不得意なことというのはチャンスでしかないんだ。

大事なのは君の捉え方だけなんだよ。

 

この言葉を胸に私は一生走り続けようと思っている。

苦手だからこそ、計算の速さではない部分で勝負をしたい。

正確性・立式における工夫など、あらゆる方向性で物事を考えることを訓練した。

 

大事なのは、丸暗記することではない。思考である。

その思考は別分野でも自分を成長させてくれる。

 

今回は英語と宗教の関連性についての話をした。

何ごとにも興味を持ち、自分の関心事とする。

その必要性が伝わっていればと思う。

 

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